ニューヨークを中心に活躍し続ける日本人女性・青木恵子さんをご存知でしょうか?ベニハナ・オヴ・トーキョーのCEOとして、世界を飛び回っている女性実業家。亡き夫・ロッキー青木さんの思いを受け継ぎ、「ベニハナを世界中に広げる」という夢に向かい、現在も走り続けています。愛する夫の死を乗り越え、グローバルに活躍する青木恵子さんの生い立ちとは?そして、気になる年齢や美の秘訣についても調査してみました。
青木恵子(小野恵子)の基本プロフィール
- 生年月日:1956年
- 年齢:67歳
- 出身地:東京都
- 職業:実業家
厳しいながらもごく平凡な家庭で育ったという青木恵子さんは、高校時代バスケットボールに燃えるスポーツ万能な少女でした。幼い頃から美少女として知られており、短大に通っていたときにはミス東京に選ばれるほどだったそう!
![青木恵子(小野恵子)の基本プロフィール](https://www.news-postseven.com/uploads/2022/06/14/aoki2.jpg)
ハワイ留学で日本人男性と出会い結婚
青木恵子さんは、3年間のハワイ大学への留学で出会った日本人男性と初めての結婚。アメリカの永住権を取得しますが、わずか1年半で離婚に至ります。
ロッキー青木との電撃結婚
青木恵子さんは、ワンダーブラの下着販売で成功しコンサルタント業を始めたばかりの頃、2番目の夫となるロッキー青木さんと出会います。派手な結婚式も話題になりましたね。敏腕実業家であるロッキー青木さんですが、意外と「ノー」が言えない優しい人だったようで、そんなところも青木恵子さんにとって魅力だったそうです。中国で展開予定だったビジネスの手助けをしたことで急接近し、結婚に至りました。
![ロッキー青木との電撃結婚](https://1.bp.blogspot.com/-1c3dwMmkGXQ/YRWa-qnSR4I/AAAAAAABKrI/4tIcVjePEKomgLe5NrKHhoau0mQ0ybN4wCLcBGAsYHQ/s2000/kraoki_090907_1.jpeg)
夫・ロッキー青木の死を乗り越えCEOに
言葉を発せられない夫の「メモ書き」
2008年に亡くなるまでの数日間、ロッキー青木さんは言葉を発することもままならないほどに衰弱していたそう。ただただそばにいて、顔を見るだけの日々だったといいます。そんな中、青木恵子さんは病室の引き出しから、ロッキー青木さんが書いたとみられる1枚のメモを見つけます。そこには「幸せだった、ありがとう。もしあなたがいなかったら、私はもっと早く死んでいた」と書かれていました。夫の死が近づいていることを受け入れられず、ベニハナを受け継ぐ情熱は残っていなかったという青木恵子さん。そのメモを読んで奮起し、今現在も世界を飛び回り、活躍しているのです。
![夫・ロッキー青木の死を乗り越えCEOに](https://net.keizaikai.co.jp/wp-content/uploads/2019/09/3f752e770269b6543b08ba2bbacea1c4.jpg)
ロッキー青木が設立したベニハナとは?
benihana of tokyo(ベニハナ・オヴ・トーキョー)は、1963年に故・ロッキー青木さんが立ち上げた飲食店。1号店は、マンハッタンに出店した鉄板焼きレストランでした。ロッキー青木さんの没後も変わらないコンセプトは、客の目の前で料理パフォーマンスをするという点。青木恵子さんは今でも、このコアな部分を変えずに、ロッキー青木さんの思い描くベニハナを世界中に拡大し続けています。
![ロッキー青木が設立したベニハナとは?](https://stat.ameba.jp/user_images/20130524/14/takkamenrider/49/5e/j/o0640048012550470009.jpg)
青木恵子、ニューヨークの自宅がスゴすぎる!
青木恵子さんといえば、セレブな自宅を公開していることでも知られています。気さくな雰囲気で豪邸を紹介する青木恵子さんは、いまだエイジレスな魅力を放っていますね。
![青木恵子、ニューヨークの自宅がスゴすぎる!](https://stat.ameba.jp/user_images/20190507/16/dewisukarno/44/13/j/o1280096014405347309.jpg)
まとめ
ニューヨークセレブの青木恵子さんは、愛する夫が亡くなったあとも気丈に、そして美しさを維持しながら、benihana of tokyoという素晴らしいビジネスを成功させ続けていました。今後も、ニューヨークで成功している日本人の1人として、世界中のメディアに引っ張りだこの存在となっていくでしょう。